悪政に苦しむ農民を救うため、自らの死をかえりみず、直訴を決意した義民宗五郎のものがたり
下総國佐倉領(いまの千葉県佐倉市辺)は数年来の凶作が続き、領民は飢えに苦しんでいた。年貢米(今の税金にあたる)の減免を嘆願する百姓衆の声は聞き届けられず、逆に年貢の割り増しを申し渡される。このうえは直(じか)に藩主堀田上野介に願い出ようと、その江戸屋敷におもむいた木内宗五郎たちは、江戸家老岩淵典蔵に門前払いにされる。
宗五郎は、死罪を覚悟で将軍への直訴を決意。その前に、一目妻子に会いたいと、佐倉に立ち戻り、印旛沼のほとり、渡し守甚兵衛の小屋にたどり着いた。逃散を防ぐため、日が暮れると渡し舟には鎖がかけられた。甚兵衛は決死のナタで鎖を切り……。
一別いらい変わりない妻子の姿に安堵するのもつかの間、宗五郎はふたたび江戸へと……。 |