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サチとキチと青いサンタと

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サチとキチと青いサンタと
サチとキチと青いサンタと
サチとキチと青いサンタと みどころ
サチとキチと青いサンタと スタッフ・配役
サチとキチと青いサンタと
 

 

  見どころ

 

今年の前進座初春公演「あなまどい」に続いての私の書いた作品、しかも! 今回はオリジナル作品を上演する機会を得られました。「あなまどい」とは打って変わっての子ども向けの作品をどう仕上げているか、ご興味のある方は是非、ご覧ください。
「サンタ!」と、聞いてドキドキ出来た頃はいくつまでだったのでしょうか? 自身の幼少期を思い出してみると、小学校三年生ぐらいにはそのカラクリを知っていたような記憶があります。この物語はそのカラクリにちょっといたずらをしたような物語です。
サンタにはみんなが知っている赤いサンタと、みんなが知らない青いサンタがいるのです。赤いサンタはプレゼントを街中の子どもたちに配ってくれます。では、青いサンタは? 青いサンタは、こっそり、子どもたちから大事なものを奪っていくのです。
と、書いていると、とってもこわーい物語のように思うかもしれません。けれど、物語の主人公「サチ」は決して泣き言は言いません。いつでも、明るく、何にでも興味を持って、突き進んで行きます。サチは歌が好きで、サチの周りでは笑いが絶えません。親友の「キチ」もそんな子でした。キチはとってもやさしい子です。男の子なのに、おはじきや、ゴム飛びがとっても上手にやれるのです。けれど、青いサンタがキチの心に現れるようになってからは変わってしまったのです。
キチにはお父さんがいません。お父さんがいなくなった年のクリスマスから赤いサンタが現れなくなり、青いサンタが現れるようになりました。そして、少しずつ、家のものが欠けていくのです。
一方、サチのお母さんは入院をしています。病気の名前をサチは知りません。サチはお父さんの仕事が終わるまでの間、ずっと、お母さんの居る病院で眠っているお母さんに話しかけます。
事件は、心に隙間の出来た小学三年生のクリスマスイブ。その一夜限りの聖夜に青いサンタが現れるのです。
不思議を不思議のまま受け入れられるのは子どもならではの、特権だと私は思っています。そんな不思議を、ありのまま、受け入れてもらえるような作品にしたいです。大いに笑えて、ちょっと悲しくて、でも暖かくて、強い気持ちにあふれたファンタジーを、是非、御家族で、カップルで、夫婦で見てもらいたいと思っています。

 

クリスマス。それは、一年で一番、街がかがやく時期です。流れる音楽もはずんでいます。サンタさんとトナカイと雪とケーキと、そしてプレゼント。本来の意味はともあれ、クリスマスはウキウキドキドキワクワクにあふれた一大イベントです。行きかう人々はみんな幸せそうで、きっと世界中が幸せ。私は子どもの頃そう思っていました。そうではない場所があるのもうっすらと知っていた気もしますが、本当にはわかっていなかったのです。けれど、はっきりわかっていたこともあります。それは、どんなに光があふれていても、一人ぼっちではそれほど楽しくないということです。
サチとキチは、そんなクリスマスの夜に一人ぼっちです。彼らの世界は自分のものではなくなりつつあります。自分が世界の一部であることに気づいてゆくのです。世の中は楽しいことばかりじゃないし、自分は自分でしかない。仲良しだったサチとキチの間にも、以前はなかった隙間ができています。キチは一足先にそのことに気づき、一人ぼっちで解決策を考えます。隙間に落っこちないように、自分を守る壁を築くのです。一方、サチは世界の変化に戸惑いを覚えています。さびしい、つらい、ここではないどこかへ――。クリスマスの夜に飛び出した夢の世界で、一人と一人が一人ぼっちではなくなる方法にサチとキチはたどり着けるのでしょうか。
今、いじめも自殺も低年齢化しています。殺人事件の犯人もです。とても、悲しくてさびしいことです。報道を見て聞いて思うのは、彼ら自身が悲しくてさびしい思いを抱えているということです。悲しいとさびしいの連鎖と蓄積。それを断ち切るためには、自分と世界のあり方、向き合い方を、よりあたたかいほうへ考えていくことが必要なのだと思います。現在も続く紛争の中で、クリスマスどころか穏やかな日常さえ望めない子どもたちもいます。自分のこと、友達のこと、世界中のもっともっとたくさんの人々のこと。悲しいことやつらいことやさびしいことをしっかりと受け止め、そのうえで自ら感じ考えて生きていく。それが、本当の幸せなのだと思います。これから育っていく子どもたちにも、かつて子どもだった大人たちにも。
クリスマスのきらめきは、けしてうわべだけのものではないのです。電飾の基となっているのは街の灯です。家々の灯りです。
お芝居を観おわった子どもたちが、大人が、手をつないでスキップして家路につくような、そんな舞台にしたいと思っています。

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