かいせつ・みどころ

原作 朝井まかてさんよりメッセージ

彼女たちの決戦

 

朝井まかて


朝井まかて歴史の多くは、表舞台で名を残した人々の視点で語られる。

幕末の動乱から維新回天についても、勤王の志士や海援隊、新撰組の眼差しを通して私たちは胸を躍らせ、勝者には喝采を、敗者には情を寄せる。だが拙作『残り者』は勝者でも敗者でもなく、歴史に名を残すことのなかった女性たち五人の物語だ。ただし、この五人、ただ者ではない。

江戸の女性たちは身分を問わず、よく働いた。庶民の間では見目形のみならず甲斐性のあることがモテる条件になったし、武家の妻たちも家の交際、家政に手腕をふるった。そんな女性たちのトップクラスが『残り者』に登場する江戸城大奥の奥女中、すなわち江戸のキャリアウーマンの華だ。

ところが幕府の瓦解によって、城は新政府軍に明け渡されることになる。現代の私たちは有名な「無血開城」だと知っているけれども、慶應四年(1868)当時では総攻撃を受け、市中が戦火に焼かれる可能性は多分にあった。大奥で暮らす者たちにも、立ち退き命令が下される。一生を懸ける覚悟で奉公してきたというのに、突如として追われることになった。――この先もずっと続くと思っていた日常が、突如として崩壊する。

 2020年、私たちが経験している状況とふと二重映しになると申せば、我田引水の謗(そし)りを受けるだろうか。ただ、演劇、映画、音楽といった〝場〟の文化がいまだ危機的状況にあることは確かだ。

前進座の皆さんにおいても、今日、この舞台の幕を上げるまでいかほどの苦難を乗り越えねばならなかったか、察するに余りある。

私は大阪在住であるので、稽古も本番まで一度も拝見することがかなわなかった。舞台の中止もあり得ることを覚悟して、遠くから静観するばかりだった。けれど届いた脚本、その最終稿に目を通せば、心配や不安は吹き飛んだのである。

逞しい、骨のある脚本だ。彼女たちの百五十年前の感情が生き生きと立ち昇ってくる。演出も斬新で、猫のサト姫は狂言回しとしてコミカルに人間を揶揄(やゆ)し、掻き回し、人の世の真実にその爪痕をしかと残すだろう。

小説とは異なる、舞台ならではの世界がある。これぞ、原作者冥利に尽きる。

この作品がいかなる演技と熱でもって表現されるのか、本番が待ち遠しくてならない。

 

 

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