「台風」日記
9月4日。「銃口」の舞台稽古の日、外は土砂降りの雨だった。
今年、日本に上陸した台風の数は、10月27日現在で10個と観測史上最高の上陸数で、全国各地に多大な被害を及ぼした。そして、「銃口」班にも大きな影響を及ぼしたのです。
9月8日。沖縄。公演初日のはずであったが、6日、台風の接近に伴い鹿児島の海は大シケとなり全ての荷物を積んだトラックが乗るはずのフェリーが欠航。飛行機が飛んでも荷物が着かなくては芝居が出来ない。仕方なく公演を延期し、鹿児島で待機中のトラックはすぐに東京へ引き返した。台風はすでに沖縄に上陸していた。トラックは岡山で仮眠を取り、東京へ向けて走り出した時には九州全ての高速道路が通行止め!もし、公演延期の判断が少しでも遅れていたら関門橋を渡る事が出来ず、後の公演にも影響したかもしれない・・・。まさに、危険な橋を渡っての移動であった。
9月14日。舞台稽古から10日後、ようやく山形で初日を迎える事が出来た。順調に公演を重ね、9月30日・10月1日に延期なった沖縄公演を控えた9月26日。次の台風が沖縄に接近していた。
前回の経験上、フェリーでの運搬は不可能である事は明らかであった。しかし、今日本で最も「銃口公演」を必要としている沖縄の皆様の熱意が、一時は「朗読公演以外に手立ては無い。」と諦めかけていた私達に新しい道を切り開かせてくれた。「航空貨物」。電話で問い合わせてみるが、「芝居の大道具は積載不可能」と言われたが、「どんな物にどれだけの量が積めるのか実際に見てくる。」そう言い残して羽田空港に向かった益城・渡会。劇団で待機中の私達に連絡が入ったのは、それから1時間半後。「殆ど積める!」。
翌日、羽田空港貨物地区と言う私達には余り縁の無い場所で、トラックの荷物をコンテナ1台とパレットと言う物2台に積み替えました。こうして、皆の熱い思いと殆どの荷物を載せて、前進座史上初の航空貨物は沖縄へ飛び立った。しかし、まだまだ安心は出来ない。沖縄入りの9月29日。台風は鹿児島付近に上陸。羽田発沖縄行きは順調にフライトしていたが、事前学習会で名古屋から飛ぶ「琴野」、広島から飛ぶ「佑一郎」が無事に飛べるか・・・。「朝早い便しか無いんだよ。」(佑一郎) それが幸いだった。彼は無事に沖縄入りし台風一過の晴天の中、史跡巡りをしていたらしいが、午後広島空港を発着した便は1本も無い。やっとの思いでたどり着いた沖縄での公演は、大成功でありました。とても文章では表せないような空気が、会場全体を包んでいました。
本当に苦労をした沖縄公演が無事終わり、「ホっ」とする間もなく次ぎの台風22号は10月9日、関東に記録的な大雨を降らせこの日千葉県東金での公演は中止・延期となった。この旅2度目の中止であった。
世間一般に「二度あることは三度ある」と申しますが、それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当です!
10月20日。あの歴史的台風23号が上陸しました。山口県岩国から名古屋への移動日。出発を一時間早める事は前日皆に報告しておいたが、朝のニュースを見て更に早める事を決意。しかし、広島に到着した時には新幹線のダイアは既に乱れていました。来た新幹線に全員が飛び乗り、途中強風の為に非常停車しましたが、なんとか1時過ぎに名古屋に到着。その1時間半後、新幹線は全線不通となった。もし出発が遅れていたらと思うとゾっとします。名古屋へ向かう途中、「明日の公演が25日に延期に成った。」と連絡が入った。23日に帰京するはずだった私達総勢27名の切符を変更しなければ成らない。特に、21日(翌日)に使う切符は今日の内に変更しないと全てムダになってしまう!兎に角明日の分だけでもと思い、変更は済ませたものの、JTBを出る頃にはとんでもない暴風雨になっていて・・・。
しかし、25日に延期に成った半田、そしてこれも延期になった26日の東金も無事に公演する事が出来た。公演中止や延期と言うのは数年に1度有るか無いか。それが、1旅(約2ヶ月)で3箇所!しかも、全て延期という形で無事に公演する事が出来たと言うのはスゴイ事です。残す所2ヶ所。無事に終わって欲しい。前進座史上に残るこの「銃口」巡演を私は一生忘れないでしょう。
【山崎杏佳 記】
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