北京楽屋レポート
10月6日。「紀伊の国をたった俺などは、もう唐土への大旅行がはじまっているのだからな」玄朗の幕開きのセリフのように、吉祥寺をたった瞬間から私たちの中国への旅ははじまりました。
北京の会館は保利(ポーリー)大劇場。ホテルと会館が一緒にある、大変立派なたてものです。
楽屋は日本とほぼ同じ。ですがここは中国。机ひとつ借りるのにも大騒動! どこで使うのか、何に使うのかやら、片言の中国語と英語と身振り手振りで無事、机調達!楽屋係の山崎杏佳は洗濯機の設置で楽屋のそうじのおばさんと仲良しに。「私の最初の朋友はそうじのおばさんだ!」と豪語してました。
大道具や照明に現地スタッフが数名参加。もちろん中国人です。最初は、言葉でとまどっていましたが、そこは同じスタッフ同士すぐに意気投合。日本側大道具方の関西舞台の人たちはまず、関西弁での挨拶から教えていました。旅の中頃には、「もうかりまっか」「ボチボチデンナ」の挨拶もマスター!
キャストにもナレーションで女優のフービンさんが参加。とてもチャーミングなステキな方です。詳しくは江林智施の「楽屋を訪ねて」で特集します!
こうして、日中合作で「天平の甍」は初日に向けまっしぐら…。とはなかなか行きません。
荷物の搬入から初日が開くまで四日あったのですが、スケジュール通りに進みません。トラブルがあって遅れても、中国ではきっちり決まった時間に決まった分、食事休憩をとります。夜も時間を押して作業できません。現場のスタッフ、警備員にいたるまで勤務時間が決まっていて、それをのばすことができないんですって。いやーきっちりしすぎてちょっとびっくり! おかげで、朝10時からの居所あたり稽古が11時30分からに遅れても、12時から食事休憩なので、一場やったらすぐご飯。こんな調子なので、スケジュールはどんどん変わり、東京でもらったスケジュール帳は変更の書きこみで真っ黒。こんなことで幕があくのかしら? と思っていましたが、しっかり間に合いました。
初日は朝からドキドキ。中国のお客さんにこの芝居がつたわるかしら? という不安。
中国の劇場は舞台の横に字幕を写すスペースがちゃんとあり、そこに俳優のセリフに合わせて北京語の字幕が出ます。だからストーリーは分かるはず。
幕が開いたらまず、フービンさんの語りそしてスタート! 15分の休憩中、主演の圭史の楽屋にテレビカメラ)の取材! ぎりぎりまでメイクを直し、衣裳を着、楽屋からそのまま止まることなく舞台に出て行くこともある圭史さんの、この休憩の助手についた佑一郎は冷や汗が流れるのを感じました。
案の定ぎりぎり!「先行くよ!!」と助手を置いて嵐圭史は猛然と楽屋をダッシュ! 本当にぎりぎりで舞台へ。
終わってみると、カーテンコールの拍手はものすごく、この芝居が中国のお客さんに伝わったという、嬉しさがこみ上げてきました。次の日、圭史のインタビューもテレビで放映され、それを見たお客さんも多く、一階席はほぼ満席。中国公演最初の北京二日間の公演は無事成功! 幸先のいいスタートを切りました。
【高橋 佑一郎 記】
北京見学レポート
こんにちは、松永啓です。10月11・12日の北京での公演を終えて、13・14日は全員で北京の、頤和園、紫禁城、梅蘭芳劇団の京劇、万里の長城、十三陵、和劇(「趙氏弧儿」)などを見学しました。
バス2台に分乗し、私達若手は2号車でした。2号車のガイドさんは「馬」と書いて「マー」と読むマーさん=B「(陸上競技で名を馳せた)馬(マー)軍団の馬(マー)と同じです。」と、自己紹介したマーさんは、他の観光客のどんな人ごみもスイスイかわして追い抜く脚力の持ち主!「さすが馬軍団(!?)」と驚かされました。しかしありがたい大仏顔の穏やかな人でもあり、常に親切・熱心・ユーモラスなお仕事ぶりで、しかもトリビアなガイドはいつも「80へえ」はいってました!
さて、世界遺産でもある頤和園、紫禁城、万 の長城や十三陵はどこも「でかい!高い!広い!」ところでした。また優雅で荘厳でダイナミックで、中国の歴史の深さや大陸的大らかさなどの一端に触れた気がしました。観劇では特に、京劇を見た時、伸びる・通る声の美しさ、剣や槍を使った見事な立ち廻りに驚きや感心の連続でした。終演後は舞台に梅蘭芳さんのお孫さんが出てこられ圭史さんと握手をされました。
今回の見学で中国の歴史や人々の生活をほんの少しですが見ることが出来、またマーさんのような中国の方と実際に接することも出来ました。天平の甍≠フ公演でも通訳さんはじめ現地の出演者の方・スタッフの皆さんと一緒にお芝居を創っています。日中平和友好条約25周年!これからも日本と中国が、また日本といろんな国が、世界中の国同士が
「決して争乱の起こらぬ世を招来することを願って」(天平の甍′中のセリフ)交流を深めていけたらいいなと思いました。
【松永 啓 記】
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