解脱衣楓累げだつのきぬもみじがさね
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みどころ

172年の時を越えた南北劇の<初演>――前進座歌舞伎とっておきの一本

 「東海道四谷怪談」で知られる江戸の大作者・鶴屋南北の幻の未上演台本を、前進座が1984年に<初演>。それは実に172年の時を経た快挙でした。
本来は文化九年(1812)に、江戸・市村座で幕を開けるはずだったというこの作品。上演中止となったのは市村座の経済的事情とも役者の病休とも言われています(お吉と累の二役を振られていた四代目菊之丞は三ヶ月後に亡くなりました)。
  戦後になって発見された台本は、「南北全集」に収められ活字となってからもしばらく上演が待たれていました。
原本のまま上演すれば8時間に及ぶ台本を、前進座文芸部(当時)の小池章太郎が今日向きに3時間の台本に仕立て直し、高瀬精一郎の演出のもと、嵐圭史・嵐芳三郎をはじめとする役者たちが奮闘。
  また、板東八重之助師(立ち回り)、杵屋佐之忠師(長唄)、梅屋勝彦師、梅屋幸之助師(鳴物)、谷川秀雄氏(床山)、伊藤静夫氏(衣装)らの協力を得て、舞台化にこぎつけました。

  南北<初演>の話題性と、前進座の創意が開花した出来栄えがあいまって、日を重ねて立ち見が出るほどの評判を取り、劇評家の方々からもたいへんお褒めいただきました。
  1988年に国立劇場大劇場で再演。その後、全国を巡演。今回は20年ぶりの東京再演となります。

六代目嵐芳三郎十三回忌

  前進座初演の累とお吉を演じたのは、1996年に急逝した六代目嵐芳三郎。彼は「役者冥利に尽きる」と、この作品と役とをこよなく愛しました。その著書『役者の書置き』(岩波新書)には、初演の思い出や役づくりの工夫が記されています。

  その十三回忌にあたる本年、芳三郎の長男である河原崎國太郎がその役を引き継ぐことになりました。また、若手の演出家を抜擢。今日の視点から役柄やドラマを見直し、清新な前進座歌舞伎を作り上げるべく精進いたします。

男と女の食い違いの劇

  恋のために一途に生き、死後その男に裏切られた後は「やきもちを焼く生首」となってつきまとう【お吉】。はたまた、平凡な暮らしを願って日を送るお吉の妹【累】
  彼女らに対して、男たちはどうでしょう。
  過ちとはいえ手にかけてしまった許婚のお吉の生首に執着し、手に入れた宝刀で立身出世を願いながら、はてはまでも手に入れようとする、欲と我儘だらけの男【空月】。そのような男を主人と崇めて意のままに操られ、ついには女房であるを殺してしまう【与右衛門】
  男と女の生き方の、この食い違いを見事に描き出した南北の目の確かさ。
歌舞伎は「江戸の現代劇」。当時の社会の有り様を皮肉たっぷりに描いた南北劇は、今日の私たちにも通ずるドラマなのです。

物語の鍵を握る小道具たち

 歌舞伎にしばしば登場するのが「宝刀」。
  今回は南無阿弥陀仏の「六字の宝刀」です。元は武士だった空月。親が許婚のお吉に送ったこの宝刀を、お吉亡き後は自身の出世の手がかりとして所持。それがひょんなことから、の荷物に入れ替わり、はこれを古鉄買いの助七に渡してしまいます。宝刀の行方を追うなかで、複雑な人間関係の糸がほぐれてくるのです。
  また、空月お吉の首を掻き切ったとき、にわかに舞い立つ白い「蝶」
  この蝶々、江戸期には人間の魂と考えられていたそうです。死してなお留まるお吉の情念は、その時々に  白い蝶となって妖しく舞台に現れます。

花道が付いて455席の前進座劇場

  前進座ファンにはお馴染みの「吉祥寺・前進座劇場」。今年で開場26年ですが、まだまだ知られていないのが実情かもしれません。
  この劇場は、花道が付いても455席という小さな空間。「江戸の芝居小屋」サイズの劇場として好んでくださる方も多数いらっしゃいます。都心の大劇場では味わえない臨場感たっぷりの歌舞伎をぜひ味わっていただきたく思います。

  また、「浅草公会堂」はお正月の松竹花形歌舞伎の劇場としてよく知られている所。前進座も昨年の「俊寛」「人情一夕噺」に続いて、本年も歌舞伎を上演させていただきます。芝居気分そのままに散策も楽しく、お値打ちな2等席・3等席もご用意しています。

 

 

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