スタッフ

 

原 案 松本 猛
台 本 朱 海青
演 出 鵜山 仁
装 置 乘峯雅寛
照 明 石島奈津子
衣 裳 原 まさみ
効  果 川名あき
舞台監督 中橋耕史

 

プロフィール

 

原案=松本猛

1951年、いわさきちひろ・松本善明の子として東京に生まれる。

東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。現在は、美術・絵本評論家、作家、横浜美術大学客員教授、ちひろ美術館常任顧問、美術評論家連盟会員、日本ペンクラブ会員。

1977年に、ちひろ美術館・東京、97年に、安曇野ちひろ美術館を設立。同館館長、長野県信濃美術館・東山魁夷館館長、絵本学会会長を歴任。

著書『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』『母ちひろのぬくもり』(講談社)『「戦火のなかの子どもたち」物語』(岩崎書店)、『花と子どもの画家 ちひろ』『安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』(新日本出版社)、『東山魁夷と旅するドイツ・オーストリア』(日経新聞出版社)、絵本に『ふくしまからきた子』『ふくしまからきた子 そつぎょう』(絵・松本春野 岩崎書店)、『白い馬』絵・東山魁夷 講談社)、『りんご畑の 12 ケ月』(絵・中武秀光 講談社) 『海底電車』(絵・松森清昭 童心社)など。

 

台本=朱海青

東京外国語大学ロシア語学科、劇団前進座付属養成所(15期)を経て、1922年入座。東京都出身。〈高柳育子〉の名で『五重塔』蓬莱屋の女中役で初舞台を踏む。山本周五郎原作『赤ひげ』看病女・お雪、三浦綾子原作『銃口』谷川冴子先生、『天平の甍』普照の母・与呂志女など、役々に優しさと品の良さが感じられる。特技は三味線で、『五重塔』『怒る富士』『夢千代日記』などでその腕を披露している。

2017年より、公益社団法人日本演劇興行協会主催、脚本家養成講座を受講。

『ちひろ一私、絵と結婚するのー』で脚本家デビューを果たす。

 

演出=鵜山仁

慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。舞台芸術学院を経て、文学座附属演劇研究所に入所。1982年座員に昇格。

ウィット溢れる演出術で俳優の意外な面を引き出す手腕と、言葉から着想される膨大なイメージをあらゆる表現・素材を使って劇空問に現出させる力に定評がある。

2007年から2010年まで、新国立劇場の第四代演劇芸術監督を務める。

主な演出作品に『グリークス』『シラノ・ド・ベルジュラック』(文学座)、『ニュルンベルク裁判』(ひょうご舞台芸術)、『ヘンリー六世』『リチャード三世』『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』(新国立劇場)、『父と暮せぱ』『マンザナわが町』(こまつ座)等。またオペラやミュージカルなどの演出も手がける。

芸術選奨新人賞、毎日芸術賞千田是也賞、紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞、芸術選奨文部科学大臣賞等を受賞。

前進座の演出は今回が初めてとなる。

 

原案=松本猛氏より

 

いわさきちひろの劇化やテレビドラマ化の話はこれまでに何回もあった。しかし、プロットを見るとちひろを美化していたり、概念化し過ぎていたりで、なかなか話をまとめることができなかった。前進座からお話があったときも、ただ人生をなぞるような舞台では意味がなく、芝居として魅力的なものができないならばご遠慮したいと申し上げた。ところが前進座の熱意は並大抵ではなく、私も次第に実現できればいいと思うようになった。

 

何回かの打ち合わせのあとで、演出に井上ひさしの「父と暮らせば」を始め、数々の名舞台で知られる鵜山仁さんが決まった。しかし、脚本がネックだった。なかなか脚本家が決まらない。私は、若きちひろの苦悩と葛藤が最も激しかった戦後の激動期に焦点を絞った方がいいと申し上げた。それは3年半かけて資料を再調査し、ちひろの評伝を書いた経験からこの時代のちひろが人間として一番面白かったからだ。と同時に、生きるとはどういうことかを考え、今の日本に価値あるメッセージを発信できると思ったからだ。

 

打ち合わせに当初から同席していた前進座の女優、高柳育子さんが脚本も勉強されているということを聞き、試しに私のイメージでラフの脚本を書いていただくことになった。でき上ってきた脚本は私のイメージを遥かに超えて面白かった。戦争直後、新しい時代の生き方を模索する人々の涙と笑いと熱気がそこにはあった。最初に勤めた人民新聞の面々、師でも友人でもあった画家の丸木俊、親友となる編集者、画家仲間、後に夫となる松本善明などの強烈な個性のせめぎ合いのなかに、若きちひろがたしかに生きていた。

 

鵜山仁さんはもちろん、山田洋次監督からも高い評価を得て、高柳育子さんは脚本家、朱海青としてデビューをすることになった。稽古を何回か見せていただいたが、俳優さんたちの気迫が伝わってきた。鵜山さんの演出への期待も高まるばかりである。

(「月刊前進座」9月号より転載)