1902年、明治法律学校卒業後、司法官試補を経て弁護士となり、自称『トルストイの弟子』として、「米騒動」事件から、朝鮮の独立運動・農民運動と台湾の農民運動への支援、治安維持法違反容疑被告の弁護、そして、戦後の「三鷹事件」まで、人権と平和のため『民衆の弁護士』として闘い続けました。
その布施辰治の座右の銘が『生くべくんば民衆と共に 死すべくんば民衆のために』でした。
なお、前進座が、1937年より、この吉祥寺に本拠地を構えることが出来たのも、布施弁護士のお力添えによるものです。
左の言葉は、布施辰治が好んで、色紙に書いたものです。
『任侠』とは、弱きを助け、強きをくじく気性に富むこと。また、その人、を意味します。
まさに、布施辰治自身を表わしています。
▲このページのトップへ