旧い法律 を楯にして
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大石 |
戦時下、弁護士資格を奪われていた時、前進座の顧問料、たぶん20円か30円くらいだと思うのですが、これが貴重な定収入でした。いつも届けて下さる楽三郎さんという方、元俳優さんだと思うのですが、子供心にも大変だろうなと。
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山口 |
ご一緒には、どの位?
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庄司 |
前進座のお子さん達が病床の辰治に送った絵も残っていますよ。スライドにして一周忌の記念の会で写したものです。台本は柑治さん(辰治の長男・本名は丙午。辰治の伝記の著者『ある弁護士の生涯』岩波新書)が書かれた。私が預かっています。 |
十島 |
その台本とスライド、是非拝見させてください。それにしても、あの明治憲法下、その 旧い法律 を楯にしながら弁護活動を展開したその論法が素晴らしいですね。 |
庄司 |
「彼らの法律で彼らを縛れ」というソクラテス流ですね。あの専制主義国家のもとで、人々の、とくに弱者の権利を守るために、布施先生一流の論理、論法を果敢に展開されましたね。日本の人権史の中で大きな足跡を残した方です。 |
十島 |
録音が残っていれば、声を聞いてみたいですね。 |
大石 |
郷里の訛りが少し残っていたようです。東北の言葉はたいへん美しいのですよ。 |
十島 |
生まれ育った農村・蛇田の小作農や、程近い石巻の漁港の漁師達の、貧しい暮らしや苦労を見て来た事が、弱者への弁護につながっていったのでしょうね。 |
山口 |
自由民権運動の雰囲気も残っていたでしょうし …… 、 |
庄司 |
石巻には当時から木造のハリストス教会があってロシア正教が盛んだったんです。その影響もありますね。 |
十島 |
上京して即刻入校したのが神学校でしたね。ニコライ堂ですか。校長と喧嘩して直ぐ退学してしまったようですが。 |
大石 |
東京のニコライ堂のエライ人たちよりも、ある意味もっと純粋な信仰心が東北にはあったんですね。それと、民権の心も。 |
十島 |
その上で、弁論の方は巧みだった。 韓国「建国勲章」受章記念シンポジウム(明治大学タワーホール)で話された「尾行」の件は傑作でした。 |
大石 |
大杉栄が尾行の刑事をステッキで殴って公務執行妨害に問われた。その弁護に「隠密令」(太政官布告)を持ち出して「隠密はすべからくひそかに尾行しなければならない」とある。しかるに公然と刑事がまとわりついたのは、適法な公務 の 執行とはいえない。従って公務執行妨害にはあたらない」と。尾行の刑事にも色々あって、辰治の尾行についていた刑事は、秘書と間違われたとか。荷物を持たせていたそうです。 |
山口 |
岡山で病気療養中の小林弁護士を見舞った時の事ですね。
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十島 |
弁護士という仕事は一面、清濁併せ持つ豪快さも必要ではないかと思いましたね。布施先生の仕事振りを見ると、様々な依頼人がありましたね。右から極左まで、あるいはヤクザの親分とか、中には自分から買って出ることもしばしばでしたね |
山口 |
特に戦後は、いかがわしいような人の出入りも多くて、足を運び難くなった、と書かれていましたね。 |
大石 |
ちょっと私の感性とは相容れないような雰囲気で…
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十島 |
二等車に乗って一人で移動して、皆が待つ駅の少し前で三等に乗り換える話もありましたね。戦後直ぐの秋田での朝鮮人のドブロク裁判の時でしょうか。 |
大石 |
ああ、あれは秋田まで 二 等車で
行き、下車する時には三等車に移動してホームに下り立つというものでした。祖父の体調を考えて周囲で相談していたのです。私は、ふとその話しを耳にして、子供心にけしからん、偽善者だ、と思ったんです。でも考えて見ると、祖父はもうその頃、七十才に近かったのですから当然のことだったのです。何しろ当時の三等車は板敷きの硬い席でしたからね。
祖父は人力車や、後には車を持っていて乗り回し、そういう自己顕示的なところは多々あったようです。 |
十島 |
自己顕示欲というより、たいへんアクティブですね。関東震災の折には民心の動揺を抑えようとオートバイのサイドカーに乗り込み火炎の中に馳せる …… |
大石 |
わたしにはコルクのヘルメットをかぶってサイドカーに乗っている辰治の姿が目に浮かびます。 |
十島 |
ほう、ヘルメット。南洋探検のような? |
及川 |
エジプトの吉村教授のような? |
十島 |
それは面白い。いかにも、らしい姿ですね。 |
大石 |
かと思うと、遊郭から逃げた娼婦を助けるために、救世軍の聖職者と婚姻届けを出させて、前借金を無効にした(戦前の民法では、婚姻すると女性は権利能力を大幅に失うという現在から見れば悪法だかそれを逆手にとった)。その聖職者は何度も布施に「婚姻させられた」そうです。 |
山口 |
見事な論理ですね。 |
庄司 |
戦時色が濃くなると治安維持法違反で被告になったりもしましたが、保釈の時、東北に戻って岩手小繋の山林入会権をめぐる紛争の解決に 努め ました。大衆の中の一員として、自己を捉えていたようです。 |
山口 |
お話しいただいたような 普段の姿も含めて、多面的に、描きたいですね。「進君遭難記」なんかも面白いエピソードが満載ですし、 |
大石 |
私が 10メートルほどの高さから 転落して大怪我をした時、辰治が書いた物ですがね、今の私には大切な宝物ですよ。 |
十島 |
大石さんの書かれたエピソードも含めて、巨人・布施辰治弁護士の人となりの魅力溢れる話が沢山ありますね。 |
山口 |
庄司弁護士や森先生の御研究なども含めて、今も皆さんの心に深く刻まれた辰治像を舞台に描きたいと思います。 |
及川 |
お忙しい中、貴重なお話を本当にありがとうございました。 |