
佇む啓

我らが道具は果たして飛ぶのか?

航空貨物が飛ぶか不安な啓 |
7月19日
ヘビーな幻覚症状 沖縄編(移動日)
おこんにちは。ヘビこと松永ひろむです。今日はいよいよ沖縄石垣島へ向けて出発です! 我等カエル班は、朝から羽田空港で、トラックから航空貨物に荷物を積み替えました。大好きな沖縄での公演ということで、全員鼻息も荒く作業終了! ところが! 羽田の作業員のかたが、「これはー那覇から石垣便には大きさキツイかもしれませんねぇ。」と舞台装置の木製アーチと照明用の鉄骨を指さしてました。「いえ、寸法の最大値を聞いて、造ってきてるんで入るはずです! なんとかお願いします。」と舞台監督の金子くん(今年31歳)は普段見せない低姿勢
でお願いしてました。作業員のかたは「分かりました。じゃあどうしても入らなかったら那覇停まりと言うことで…。」と言ってくれました。事務手続きでちょと時間がかかったので、班の先輩方に託して荷物の係の私と舞台監督の金子くんは、先に羽田を発ちました。台風が石垣島を通過したのは昨日でした。荷物もみんなも無事石垣島に到着しますように!祈るのみでした。つづく…。
ヘビーな幻覚症状 続沖縄編
石垣島へは那覇経由で行きました。貨物も那覇で石垣島便へ積み替えです。私と金子くんは貨物ターミナルへ一応確認へ。しかし! ターミナルの人に聞くと、例のアーチと鉄骨は羽田出発の時点で那覇停まりになっているとのこと。「なんとかお願いします!」と金子くんと手続きしなおしていたら、予想以上に時間がかかり、二人が乗るはずの便に乗れそうになくなってきました。私は旅客ターミナルへ戻り最終便へ変更に。貨物の手続きもなんとか終わり、やっと石垣島へ。しかし! 台風の影響で強風が! 石垣島空港に着陸寸前でやり直しが三回もあり
ありました。私と金子くんは「神様仏様シーサー様具志堅用高様!どうか無事に到着させてください!!」と、額を前の座席に着けたり、足首を持って体を前に倒したり、指示もされてないのに緊急着陸姿勢を繰り返しながら祈りました。やっと!やっっと!着陸し、貨物ターミナルへ確認へ。とりあえず、那覇停まりを変更したアーチと鉄骨がなんとか乗せてもらえて、一緒に到着してました。残りの荷物は明日、分割しての到着の予定。ひとまず今日の予定はクリアしました。しかし他にも細かい予定や連絡のずれがあったりして確認や修正に大変苦労しました。なんとかぎりぎりで切り抜けてきた一日でした。
遅い夕飯を摂りながら、明日の計画を二人で考え、この日は終了となりました。 いやー!大変な日でしたが、明日も台風の影響もありそうとのこと。ちょいと心配でしたが、疲れでアッというまに眠りにつきました。 【松永へび 記】 |

杉本兄妹・・・この写真を撮っている最中、メンバーは『やっぱり似てる、やっぱり似てる』とささやいて居ました。このふたりが? それとも古田に・・・?

古田アップ! トレードマークのメガネは頭の上のカエルがかけています。

男の飲み会風景。右から昌樹、金子、石田、唄を選ぶ人(ウソ写真) |
7月10日 川崎・麻生公演
き、きたー! ヤクルト古田激似の雅代兄が・・・き、きたー!
二年前の北コミ朗読公演のときに初めて、その御姿を拝見させていただいて以来、座内で人気沸騰!(当公演の舞台監督は、とあるパーティーで雅代兄のネタを、スライドにして公開するほどの狂いよう)
メンバー全員、雅代兄の到着を今か今かと待ち望んでおりました。
メンバー内では「古田さん!」と、よく考えれば本人とは全く関係のない愛称で親しんでおります。さらによく考えれば、「今日も本名を聞いたが、古田の印象が強すぎて覚えていない」という結論に。
古田さん、今度遊びに来たときに、また、本名聞きます。
また、来て下さいね〜。
【金子義広(その舞台監督) 記】
※本名って杉本じゃないの?(ウェブマスターより)
※
杉本兄の本名はフルネームで毎回聞くのですが、忘れてしまうのです。(金子)
いや、昨日(9日)の夜の雨は凄かったですよ。ドブァーて滝のようでした。それにくらべ、今日の昼はピーカン。それは いいのだが暑い暑い。
川崎の麻生公演が終わり搬出していると、モア〜としていてもう汗ダラダラ。なにせ、開演してから汗かきっぱなしですし、のどはカラカラ。もう我慢できぬ明日、あさっては休みだ、多少はめ外してもいいだろう。何よりノドが…搬出後、金子くん石田くんを誘い新百合ヶ丘近くの居酒屋に行ってしまいました。いや〜やっぱり仕事のあとの一杯は最高ですハイ。至福のひとときでした。あ、いうほどハメははずしませんでしたよ、すぐ帰ったしね、ね、金子くん。そうでしょ石田くん、ね、ね、ね…
PS:本日の公演に雅代さんのお兄様がいらっしゃいました。賛否はありますがヤクルトの古田捕手に似ているとのうわさです。どうですか?判断はみなさまにおまかせします。 【寺田昌樹 記】 |