2009年10月20日火曜日、韓国ロケハン出発の日。東京天候晴れ、風もなく穏やかな日差しが降り注ぎ、ロケハンでなくても外を歩き回りたくなる陽気だ。三泊四日の韓国旅行を前に自然と心が躍ってしまう。
ロケハンメンバーは座友の十島英明(演出)、豊田美智恵(制作)、そして私、脚本を担当する金子義広の三人。十島さんは以前に、三浦綾子原作「銃口」(2003年初演)や「生くべくんば死すべくんば 弁護士布施辰治」(2007年初演)を舞台化していることからも日韓の問題に造詣が深い。独学でハングルも学んでおり、訪韓の経験もある。に、対し、豊田と私はハングルはおろか、英語もままならない状況だ。かろうじて私には海外の経験がある(2003年「天平の甍」前進座訪中公演参加)のだが、豊田にいたっては人生半世紀を生きてきて初の海外だ。パスポートを作る時点でてんやわんやであった。十島さんのみが私たちの頼りであった。
こんな頼りない三人に必要なのは綿密な行程表なのだが、当初、それを作ったのが私というなんとも心細い状況だった。ネットと観光本を駆使し、人並みのスケジュールを作ってみたのだが、いかんせん、土地勘が全くないため、時間的な感覚がつかめない。「ここからここの移動ってこれぐらいで行けるのかしら?」「ここの中ってこれぐらい時間をとれば見られるのかしら?」なんて細かいことはお構いなしの強行スケジュールである。「そもそもそんなに十島さんは歩いていられるのか?」ということすら疑問符である。作った本人からしてずいぶんと不安を感じていた行程表であった。そんな状況の中、韓国行きの三日前に奇跡が起こったのである。
以前、銃口を韓国のテレビに紹介してくれた黄慈恵(ファン・チャヘ)さんが「くず~い屑やでござい」の公開舞台稽古を見に来てくれたのだ。行程表に一抹の不安を抱えていた私は、豊田と共に行程表を見てもらうことにした。一読して、黄さんは、「何故、ここに行きたいのか?」と根本を突く質問をしてくる。「いやあ、ガイドブックにここがいいと書いてあったので・・・」と要領を得ない私に、黄さんは「ここはやめなさい!」とピシャリと切り捨てる。その他「こんな市街地から遠いホテルはやめなさい。出来ないなら、このホテルの横のお店のジャージャー麺がおいしいから食べなさい」とポジティブにアクティブにアドバイスを下さる。それからも色々とアドバイスを頂いたのだが、よっぽど行程表がダメだったのだろう、黄さんは帰られる電車の中で原作を読破し、韓国の知人に連絡を取り、自ら行程を考えてくださったのだ。しかも、現地ガイドを知人に頼み、食事の場所まで指定してくれている。完璧であった。
当初予定していたふわふわな予定表とは比べ物にならない行程を、思わぬ形で手に入れた私たちは、すでにこの公演が追い風に乗ったものと確信するのだった。
第二回へつづく
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