ロケハン日記第7回
西大門刑務所歴史館の別棟に韓国のジャンヌダルクと呼ばれる柳寛順(ユ・グワンスン)が投獄されたという建物がある。1919年の万歳独立運動に参加した彼女は、獄中でも抵抗を続け、拷問の末、殺される。その遺体は変形し、性的拷問のために体の中までもボロボロだったという。また、遺体返還を要求してもすぐには返してもらえず、拷問の痕を隠すためにバラバラにされた状態で返ってきたとも言われている。

投獄されていた女性用の獄舎は地下の構造で、一部屋一畳程度で区切られていた。驚いたのは狭さもそうだが、高さが140センチほどしかなかったということだ。いくら当時の女性は今より小柄だったとしても、まっすぐに立って部屋に居ることは出来なかったであろう。地下室での閉塞感を考えると、それだけでも息が止まりそうになる。

話は変わるが、この刑務所の本棟の一部屋は6畳ほどなのだが、その部屋に入れられた囚人の数は最高で40人を越えたという。こうなるともはや座ることも出来ない。収監された者たちは協力しあい、何人かずつ交代で休みあったそうだ。一度入ったら生きて出られないと言われた監獄だ。拷問が終わった後にもひと時たりとも安らぎを与えない徹底した印象を受けた。

西大門刑務所歴史館の周りは西大門独立公園と呼ばれる記念公園になっている。歴史館を後にした私たちは公園内にある記念碑を見て回った。3・1独立宣言記念塔の後ろには3・1独立宣言書の全文が石碑で残っている。この宣言書は以前に、十島演出で公演した「生くべくんば、死すべくんば 弁護士布施辰治」(2007年初演)の中で読み上げている。この宣言書は内容もさることながら、文章の美しさでも有名だという。現在では独立運動をたたえ、3月1日を三一節(サミルジョル)といって韓国では国民の休日となっている。

独立門(トンリンムン)をくぐって、街中へ。ソウル歴史博物館を目指す。韓国の歴史を写真で振り返るという企画がたまたま行われているという。しかし、ここでも、日帝時代を映す写真は限られていた。そんな中でも印象が深かったのは、1930年代のソウルの全景写真である。現在にも残る建物が遠景ではあるが、当時の姿で見ることが出来た。かなり発展した街であったことが想像できる。これだけの街を移民した日本人だけで作り上げることなどもちろん不可能で、ここまでの街を築き上げるには、かなりの労働を強いた過去があることをその写真が物語っていた。

その写真のほぼ中央に南山があった。現在では公園となっており、タワーが建つなど、観光のメッカである。しかし、その写真には、遠景でも分かる大鳥居が写っていた。明治天皇を祭る朝鮮神宮である。当時、皇民化政策の一環として、現人神である天皇を崇拝することを強制されていた。強制された神など祈れるはずはないのに、徹底した日本人化が求められていたのである。当時、国民にはクリスチャンも多かったのだが、神社参拝が強制され、その抗議に立ち上がった人々が獄死するなどの不幸も起こっている。

博物館を後にしてからは、お決まりの韓国のおいしいものを食べに、再びタクシーに乗って移動した。どこへ行ったのかはよく分からなかったが、黄さんご指定のちょっと裏町にある焼肉屋へ。
韓国料理の礼儀とは必ず残す量を出すことだそうだ。もったいない! と、必死に食べてもさすがに食べきれなかった。ごちそうさまです。それにしてもどれを食べてもおいしい。メイン料理に添えてある小皿たちがまたうまいのだ。組み合わせで同じ料理を違った味で楽しめるし、単独でもおいしい。酒もすすむ。日本でもポピュラーになりつつある韓国料理、これまであまり行ったことがなかったが、東京に帰っても行ってみたくなる味だった。

〆にもう一軒は、飲み屋ではなく喫茶店だった。隠れた名店なのか、サラリーマン風から学生までほぼ満員状態である。そして、みなよくしゃべる。お酒も入ってないのに、なんだこのテンションは、と驚愕しきり。お勧めティーを頂きながら、最後にはお土産まで購入して、短いロケハンの成功を祝った。

離れたホテルまで地下鉄を乗り継ぎながら、みなの顔には疲労の色が浮かんでいたが、同じくこれから作る芝居を絶対に成功させようという決意がみなぎっていた。
第八回へつづく 矢印

ウィンドー下に壁で区切られているのが分かるだろうか。ここが女性の閉じ込められていた部屋である。高さが140cm程度、広さは一畳程度だろうか。今は一階部分がないから明るいが、当時は明かりも入らない地下室だったと想像できる

ウィンドー下に壁で区切られているのが分かるだろうか。ここが女性の閉じ込められていた部屋である。高さが140cm程度、広さは一畳程度だろうか。今は一階部分がないから明るいが、当時は明かりも入らない地下室だったと想像できる


3・1独立記念塔と宣言文全文が載っている石碑。
西大門を出たら、もう日が暮れかけていた。

3・1独立記念塔と宣言文全文が載っている石碑。
西大門を出たら、もう日が暮れかけていた。

 


たらふく食べた後は、本格的ティーでほっと一息をついた。
注文したのは柿の葉ティーとチコの実ティー。

たらふく食べた後は、本格的ティーでほっと一息をついた。
注文したのは柿の葉ティーとチコの実ティー。