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時はいま、文月の朔日。 『義民伝』の旅も、2006年も、後半戦に入った本日 このたび最大の山場、行橋―宮崎深夜移動を迎えました。
九州に入って以来甲斐甲斐しく制作役を勤めてくれた二人の女優さんと涙の別れを振り切るようにバスが出発したのは11時45分。もちろん夜のです。
走り出した途端に“宿責発表します”と元気な声は寺田昌樹くん。
かなりの覚悟をしていた行橋の搬入搬出は、見事に晴天。 青空と入道雲とにどうして晴れているのか首を傾げるばかり。
九州の地理に馴染んだ方ばかりではないでしょうから、簡単にご説明しますと、行橋は福岡県北部、宮崎はもちろん宮崎県。 福岡、佐賀、福岡、熊本、宮崎と県をまたいで 九州自動車道の五分の四を突っ走り、左折して宮崎自動車道の終点まで九州縦断。高速だけで350km余りの行程です。
行橋の楽屋では、一つのテーブルを両側から六人が使用 、 一人頭のスペース50cm×44cm
バスが小倉南にさしかかると窓を激しく叩きつける雨。が、すぐに静かになりました。ごく局地的な雨雲だったようです。この雲 が搬出中に来ていたら大変なめにあっていたわけですから禍福は真にあざなえる縄の如し。
われわれの出発後、行橋も大雨に見舞われた由。翌日先輩たちの電車は徐行運転で40分の遅れとなりました。
午前一時を回って、最初のトイレ休憩、佐賀県基山(きやま)PAに到着。
三時ぴったりに、えびのPA。ここはもう宮崎県です。
さすがに降りてみる人も半分以下。
小振りと侮って傘も持たずにトイレに向かったところ、突然の激しい降り、急遽バスがトイレ前まで迎えに来てくれました。
草木も眠る 宮崎市 街、ケンジントンホテル到着は四時二十分でした。
宮崎の朝は当然雨、けれど一台目の四トントラックの積荷を降ろした辺りから晴れてきました。
◇会館前の小松帯刀と西郷隆盛
翌日は鹿児島に移動、ここで十日余りの九州巡演も終了です。
途中降り出した雨も、搬出の頃には止みました。
甲突川ほとりのホテルからバスで一時間、鹿児島空港から一行は機上の人。 積乱雲の中、機体は波にもまれる木の葉のありさま、こんなことがあるから安全ベルトが必要なのだとは初めて思い知りました。 ともあれ、機はぶじ伊丹空港に到着。 明日は大阪コープシアターさん主催の公演です。
【松涛喜八郎 記】