舞台稽古の合間に演出進行香川良成氏から、入座のきっかけ、『義民伝』について伺いました。
芝居の世界にあこがれて上京した香川先生でしたが、実家からの仕送りはストップして絶体絶命。
そんな時ふと開いた新聞の片隅に載っていたのが、前進座の求人広告。
三行ほどの記事に応じて 集まった応募者はなんと150人。当時の大稽古場一杯でした。
50倍の倍率を勝ち抜いて、宣伝部員となった先生、取材と称して『寺子屋』('54年、五代目芳三郎が千代役で芸術祭賞受賞、近年では70周年国立劇場で上演)の稽古場に入りびたり。
長十郎、国太郎、芳三郎、菊之丞、調右衛門、八蔵、公三郎ら錚々たるメンバーが、
「この場面はこう演じたら」と、入れ替わり立ち上がって演ってみせる稽古に圧倒されたといいます。
その後曲折を経て、演出部員となった香川先生、「生意気でしたから」翫右衛門さんにも臆せずどんどん駄目を出す。翫右衛門さんは、この‘若僧'の意図を熱心に汲み取って“それならばこういうやり方もある”とその場で2、3演ってみせる。
「柔軟でしたねえ。」
初めてこの『佐倉義民伝』を担当したのは、81年の国立劇場公演。
それまでの門訴(第一幕江戸堀田家下屋敷門前の場)では、幕開きにお百姓さんたちが立って訴えていたのを、“はじめから座って訴えたら”と提案すると翫右衛門さんは“え?どうやるの、ともかくやってみて”。
用意してきた案の通り動きをつけてみせ、即採用になりました。
1949年以来、改訂を繰り返し、練り上げてきた前進座ならではの『義民伝』、500ステージの歴史の一コマです。
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